今や海外にも通用するNINJA。
NINJA NIPPON PROJECT
日本忍者協議会(JAPAN NINJA COUNCIL)による忍者を通して日本文化の発信や地域の観光振興のた目に発足したというNINJA NIPPON PROJECTのディスプレイ。
忍者を日本の文化遺産に定めて世界に発信するための組織だそうです。
いわゆる忍び装束と呼ばれる黒装束に覆面までした装束というのは創作に近く、実際は一般人に紛れ・溶け込んで活動をしていたため農民などの一般人と同じ服装で活動することがほとんどだったようでユニフォーム的な決まった服装は無かったそうです。また夜に活動するために黒装束というのも本当は違っていて明かりのない夜と言えども真っ暗ではないため黒装束だと背景に浮き出てしまってかえって目立ってしまうので実際は濃紺色だったそう。黒装束の忍者は18世紀初頭の歌舞伎による演目で役者が忍者とわかるように、あの忍び装束が作られ、実際の忍者とはほぼ関係ない衣装・装束とのこと。
今の切った張ったをする活動的な忍者のイメージを築き上げたのは、昭和30年代に多く脱稿された忍者小説「忍び者(村山知義)」や「梟の城(司馬遼太郎)」「くノ一忍法帖(山田風太郎)」などの作品によるものが大きいと言えます。「忍法」や「忍術」という言葉もこの時に定着しました。
また伊賀と甲賀は敵対しているようなイメージもこれら小説による影響と言えます。実際に敵対したという事実はほとんどなく地理的に隣接していることから普通に交流があったそうです。
エンターテインメントとしての忍者はあくまで創作の中に生きていて、忍術書なども史実かどうかの真偽や確証も乏しく、実際の忍者は諜報・扇動などの地味な活動がメインだったようです。