大阪環状線

 道路ではなく、鉄道です。
201系電車(環状運転50周年ヘッドマーク付き)
 201系電車(環状運転50周年ヘッドマーク付き)
 撮影2014年3月
 大阪環状線(英語表記はOsaka Loop Line)は初めから環状運転を行っていませんでした。環状運転を行うようになったのは昭和36年(1961年)4月25日からで、それ以前は環状ではなくCの字のように一部区間が途切れていたのです。
 大阪環状線の成り立ちですが、一番初めは鉄道国有化(国鉄化)前の大阪鉄道が発端です。天王寺〜玉造が明治28年(1895年)5月に開業し、続いて玉造〜梅田(現大阪駅)間が同年10月に開業し、明治42年(1909年)に国有化に伴った線路名称変更により城東線呼ばれるようになります。
 この時、明治22年(1889年)5月にすでに大阪鉄道として開業していた天王寺〜湊川(関西本線の起点:現JR難波)の区間の一部が現状の大阪環状線取込まれる事になります。最終的に今宮〜JR難波間が環状線から切り離される現状に至る前身です。
 天王寺〜大阪間はその後、明治33年(1900年)に大阪鉄道から関西鉄道に事業譲渡され、その後明治40年(1907年)に国有化されます。
 大阪から弁天町方面ですが、明治31年(1898年)4月に臨港鉄道として西成鉄道の大阪〜安治川口が開業、10月に西九条駅も開業し、これが昭和18年(1943年)の城東線〜西成線の直通運転により後の西九条駅までの大阪環状線の一部となります(昭和16年(1941年)に電化)。明治39年(1906年)に西成鉄道は国有鉄道に編入されています。
 安治川口から桜島間の運行であった西成線は環状線の成立とともに桜島線へと改称されました(現愛称:ゆめ咲線)。
 最後に残った区間である西九条〜大正〜天王寺間ですが、こちらもいろいろ紆余曲折があります。関西本線貨物支線として今宮駅 – 浪速駅 – 大阪港が昭和3年(1928年)に開業。
 昭和36年(1961年)にやっとこの区間が接続され大阪環状線が成立します。
 開業当初は西成線の高架工事が遅れたため、環状運転は今のようにエンドレスで全通周回できるのではなく、西九条駅での乗り換えが必要でした。
 その後、大阪〜福島間の複線化、西九条駅の高架化と南海本線との立体交差の下に新今宮駅を昭和39年(1964年)3月22日に新設・開業し、やっと乗り換え無しの全通環状運転ができるようになったのです。
 古い車輛が走る事で有名な大阪環状線。
 とにかく物持ちの良いJR西日本ですが際立っているのが大阪環状線。環状線全通時から運用されていた101系は平成3年(1991年)に就役を離れるまで走っていましたし、現状運用が行われている103系0番台は2016年から順次323系に置き換えられる予定ですが、この記事を書いている時点ではまだ現役。
 201系も103系の置き換えで投入されたものですが、そもそも他の区間で運用されていたものを転用したもので、昭和56年(1981年)から製造開始した古い車輛ですがやっぱり現役で運用中。こちらも2016年から順次323系に置き換えられる予定ではあります。
 103系にせよ201系にせよ、どちらも大規模な改修を行い冷房化したり体質改善したりと延命処置が何度も行われてきた車輛。すでに30年、40年選手が現役という、老体に鞭打つとも思える運用です。
 大阪環状線改造プロジェクトの一環として103系と201系のどちらも運用が外れ323系に一本化されますが、本当の理由は車輛の更新以外にもありそうです。
 103系、201系は4ドア車輛、それに対して大和路快速や関空快速として乗り入れてしている221系や223系、225系は3ドア車輛。つまり停車時の乗降時扉位置が異なります。これは東海道本線六甲道駅で試験運用しているロープの昇降式ホーム柵と同じ形式の複雑な機構の装置を導入せざるを得ません。しかし、323系に統一すると全ての車輛が3ドア車輛になり、新幹線駅などで導入されているようなホームドアの導入を一気に進める事ができ、駅の乗降における安全へ大きく貢献できます。
 無用な心配かもしれませんが、乗降人数の多い大阪環状線の駅で本当に3ドア車輛にして乗降客がスムースに捌けるのかは気にかかります。今でも乗降客が多い事による遅延が発生している事を考えるとホームの改良だけでは無理があるように見えるのですが、大丈夫でしょうか。一応、試験運用は済ませているようなのですが。
 ちなみに一番新しい大阪環状線の駅は大阪城公園駅で、昭和58年(1983年)の開業。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA