擬似科学は大嫌いなのですが、どういう論法で正当化するのかという点が気になるので読んでみました。
多湖敬彦著 フリーエネルギー[研究序説]
徳間書店刊 1996年2月29日 第1刷
ISBN 4-19-860441-X
いわゆるニューサイエンスと呼ばれる疑似科学的な内容の本です。最近の表現であればトンデモ本という分類になるのかもしれません。このショッキングサイエンスシリーズは他に「それでも相対論は間違っている」や「科学をダメにした7つの欺瞞」といった反科学、疑似科学的な刊行書の多いシリーズですが。
読み始めた段階で「あぁ~あ・・」となる文章を見てしまい、一気に内容の信憑性だったり、情報源の信頼性が正しく思えない本だという見え方になり、最後まで読み進むのがかなり辛いという珍しい書籍となってしまいました。
フリーエネルギーという言葉の理解を求める導入部となるプロローグで一気にこの印象付ける文章に遭遇したことで、「うさんくさい」イメージを払拭するのではなく、増幅してしまった事です。
p.15(プロローグ)3行目から引用
脱脂綿につけて消毒するやつじゃない。そのエーテルは、エチル・アルコール。
ここでいうエーテルとは「媒体」のこと。
たとえば、音を考えてみよう。音は空気という媒体があって、初めて伝わる。同じように、光とか電波を伝える媒体があるとしたら、それは何か?
それがエーテルである。
十九世紀後半までは、このエーテルは当然あるものと考えられていた。
私はこの文章を読んだ段階で「えぇ~!?」となりました。と、いうのも・・
1)エーテルは麻酔に使うのであって消毒に使うわけではない。
2)エーテル麻酔に使うエーテルはエチル・アルコールではなくジエチルエーテルである。
3)エチルアルコールの略称であればエタノールでありエーテルではない。
4)波動を媒介する物質であるエーテルは「媒質」であり「媒体」ではない
5)あくまでも「エーテル仮説」であり、あるとうまく説明できるのではないかという仮説どまりである
1)~3)は同じ事に対する指摘なのですが、これはかなりヒットポイントが高いといえます。ちょっと調べればすぐ判ることなのです。この程度の事に対してもちゃんとした調査無く思い込みで書いているのではないかという見え方になってしまい、著者の書く文章に信頼性が置けるかという疑念が生じてしまったため、一気に興醒めしてしまいました。
4)についてですが、英単語のmediumが媒体とも媒質とも訳語がありますので強制はできないのですが、「光の」となると媒体ではなく媒質という表現が物理学では一般的となっていますので、それに従うべきでしょう。当時刊行されている講談社のブルーバックスなどを見返してみましたが、やはり「媒質」という表現でした。
5)については世俗の信仰であればともかくニューサイエンスといえども科学書の体裁を取っているのであればエーテルについては神秘的なもので信じられてきたという方ではなく、物理現象を説明するためのものですので「エーテル仮説」とすべきです。
全篇を通して実例として取り上げた内容が「よく分かっていない」や、「未知の」あるいは「未確認の」や「~とわからない」というぼかし方で終わる紹介内容が多いのも気になります。
さすがにアストラルとか星気という単語は出ませんが、「磁気」あるいは「磁力」、「放電」「火花」、「螺旋」や「渦」、「メビウスコイル」、「オルゴンエネルギー」あるいは、「気」だったり「宇宙からの振動」といった単語が飛び出てきており、オカルト関連の書籍と紙一重か、ほとんど同じでは?という印象を受けます。
フリーエネルギーは零点エネルギーから生じているのではないかという推測が随所に出てくるのですが、実際に追試・検証を行っている科学者の元では過剰なエネルギーの発生を全く検出されていないという結果しか得られていないようです。
【まとめ】
大変残念ですが、私の見解としては『疑似科学』の解説本であると言わざるを得ません。
故カール・セーガン氏がもっとも忌み嫌う実証の無い主張により構築された科学の仮面をかぶった信仰といった「ニューサイエンス」や「疑似科学」あるいは「似非科学」イメージを払拭できるものではありませんでした。もうちょっとまともに取り組んでいるのかと思って読み始めたのですが。
科学もある意味信仰に近いと私は思っているのですが、その信仰の対象は常に第三者によって再確認、追試されるものであり、真実かどうかの試練に晒される点が信仰の対象とは大きく異なる点です。
「汝、疑うなかれ。」は通用しないのが科学の世界なのですから。
[参考資料]
日経サイエンス1998年3月号
真空からエネルギーを取り出せ(P.ヤム:竹内薫訳)
講談社ブルーバックス B1144
西條敏美著 物理定数とは何か
1997年2月24日 第3刷
ほか