青色にまつわる

 20世紀中には実現できないと言われていた高輝度の青色発光ダイオード(LED)にまつわる日本人たちの話です。

「青色」に挑んだ男たち:中村修二と異端の研究者列伝
 中島彰著 「青色」に挑んだ男たち:中村修二と異端の研究者列伝
 日本経済新聞社刊 2003年11月24日 第1版第1刷
 ISBN 4-532-31087-3

 一種ブームのように青色発光ダイオードに関連する書籍がいろいろと発刊されていますが、私が読んだ中ではこれが3冊目。
 一冊目はスタンレーで高輝度の赤色、黄緑色を、続いて日亜化学で青色の大量生産に成功させた小山稔の「青の奇跡ー日亜化学はいかにして世界一になったか」。二冊目は日本半導体の重鎮、西澤潤一と時の人となった青色LED実用化に成功した中村修二との共著「赤の発見青の発見」でした。
 今度は当事者ではなく第三者の取材に基づく青色に格闘した日本技術者たちのノンフィクションです。
 当時青色LEDで先行していた欧米をいかにして日本の技術者たちが抜き去ったかが淡々と描かれているのですが、描かれている内容は燃え盛っています。
青色の光に対する技術者たちの猛烈な争い、誰がブレイクスルーを通り抜けるかなどが取材を通じて描かれています。
 この本の中で登場する人物たちは次にあげる人たちです。
 中村修二:日亜化学工業(現:カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
 赤崎 勇:松下技研~名古屋大学工学部電子工学科教授(現:名城大学教授・名古屋大学名誉教授)
 天野 浩:名古屋大学大学工学部大学院(現:名城大学教授)
 松岡隆志:NTT東海村研究所(現:NTT物性科学基礎研究所主幹研究員)
 秋本克洋:ソニー中央研究所(現:筑波大学教授)
 河合弘治:ソニー中央研究所(現:パウデック代表取締役社長)
 大場康夫:東芝総合研究所(現:東芝研究開発センター・個別半導体基礎基盤技術ラボラトリー研究主幹)
 これらの人たちの取材を通じて描き出される開発のストーリーを見ていると現在の青色LEDのブレークスルーを作ったのは確かに日本人研究者たちが非常に大きな貢献をしたということが見えてきました。
 もっとも中村に関しては持ち上げたマスコミがたたき落とすという構図が進んでおり評価が厳しい状態になっています。
 実際に裁判で彼が主張したツーフローMOCVD法の特許第2628404号(通称404特許)は他の会社はおろか、当の日亜化学ですら量産行程で使用していない事実や、「青の奇跡」で小山が主張する青色LEDの量産に対する貢献がほとんど無く、中村の手法で当初から量産していないこと。また、信号機に使う青緑色のLEDは小山の指示によるものであったこと。
 彼が発見したとされる熱的アニーリングによる窒化ガリウムのp型化は当時の彼の部下が発見したことで、中村は当初否定的だったこと。
 部下の成果を承諾なしに第一執筆者として自分の名前を書いて論文発表したこと。
 日亜の退職・渡米前に日亜のライバル会社(Cree Lighting社)の株のストックオプションを入手、裁判費用をすべて肩代わりする契約をしてから渡ったこと、等々。
 実際に青色LEDの第一発明者として名前を挙げるべきは赤崎勇であり、中村修二ではありません。
 中村修二については、今後は本人からの発信だけではなく、当時の部下や上司などを含めて彼の主張が全て正しいかどうかを検証する必要もあるのではないかと感じました。
 また、日亜化学は青色LEDに関連する係争の対象となった404特許を放棄するという事態に発展し、もはや404特許は意味を成していない状況を中村はどう思っているのでしょうか。
(敬称略)

2件のコメント

  1.  今回の本の中に収録されている話で印象的だったのは、権利を主張して会社に対価を求めたのは中村氏だけ。他の方々は現職で研究を続けている、もしくは自分のしたいことができる立場に移られているのです。
     「人類の進歩と調和」
     大阪万博(EXPO’70)のテーマでした。あのころ、まだ少しですが残っていた日本の良い所が失われつつありまます。なんとかよい部分を残して育み伸ばしてゆくのが大人の役目なのですが・・・。

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